ものづくりの旅の起点を反転させて:ドレスの買い付けから、日本の手仕事を世界へ届けるまで
Origami.の創業者である私は、かつて今とは「ものづくりの旅の起点」が真逆の世界に身を置いていました。全国展開するインポートドレスショップで、欧米ドレスの買い付けから商品企画、そしてどうすれば店舗でその魅力がお客様に届くかという仕組みづくりに10年ほど奔走していたのです。
海外の美意識や作品を日本の花嫁へ届ける仕事は、刺激的であると同時に、一筋縄ではいかないことの連続でした。商習慣の違いはもちろん、感覚を共有することすら容易ではありません。たとえば「グレー」という一言をとっても、国が違えば彼らが頭に浮かべるのは青みの強い「ブルー」だったりします。
仕様書の枠にとらわれないダイナミックなクリエイティビティや、時間に対する感覚の違いに直面することも多々ありました(もちろん、彼らはものづくりに対して非常に情熱的で素晴らしいパートナーたちでした!)。
また同時に、この期間、私は京都をはじめとする日本の染めや織りの職人たちとも深く関わる機会に恵まれていました。そこで触れたのは、息をのむような技術の素晴らしさ、時代の変化の中で揺れる伝統のはかなさ、誠実にものづくりと向き合う日本人の生真面目さでした。
だからこそ、コロナ禍という大きな荒波の中で、やむを得ず暖簾を下ろす選択をした職人たちの姿を目の当たりにしたとき、胸が締め付けられるほど苦しかったのを覚えています。ただ素晴らしいものを作るだけでは守れない。この技術を未来へ繋ぐためには、その価値を正しく伝え、愛し、日々の暮らしの中に迎え入れてくれる人を世界中に増やさなければいけない。その強い使命感こそが、Origami.の始まりでした。
空気の揺らぎさえ計算する、手挿し友禅の世界
そんな私が、日本のものづくりの本質に触れることになった現場があります。京都の路地裏にある、手挿し友禅の工房です。
そこでは白生地に下絵を描き、糊で防染を施した上で、一色ずつ筆や刷毛で染料を挿していく細かな作業が実直に繰り返されていました。効率が最優先される現代のビジネスとは対極にある、圧倒的な手間の掛け方です。
迷いのない職人の手元も印象的でしたが、何より驚いたのは「夏場は基本的に仕事をしない」というお話でした。空調によるわずかな空気の流れですら染料の乾き具合を狂わせ、仕上がりに影響を与えてしまうからだといいます。それほど徹底した環境管理のもとで、あの色彩は作られていました。
筆先が絹の生地に触れた瞬間に広がるグラデーションは、機械による均一なプリントとは全く異なります。人の手だからこそ生まれるわずかな揺らぎが、そのまま製品の独特な風合いやクオリティに繋がっていました。
国境を越えて、日本の美意識と手仕事を届ける
国内外の異なる文化に触れ合ってきたからこそ、強く実感していることがあります。それは、日本人の実直な生真面目さと、この豊かな国土が育んだ天然資源があるからこそ生まれる、唯一無二の美しいモノたちがたくさんあるということです。
現在、日本のクラフトマンシップは世界中から大きな注目を集めています。日本を訪れるインバウンドの旅行客数は年間4000万人を超える規模へと迫り、多くの人々が日本の文化に魅了されています。しかしその一方で、その素晴らしい技術の真髄や、手仕事の奥にある物語が、海外の方々へまだ十分に届けられていないというもどかしい事実もあります。
旅の途中で出会う美しさだけでなく、彼らが自国へ帰った後も、日々の暮らしの中で日本のものづくりを深く、永く感じてもらいたい。国境を越えて、その手仕事の本質を届けていきたい――それこそが、私たちが心から実現したいと願う未来です。
私たちがやりたいのは、単に表面的な柄や意匠を「美しい商品」として売ることではありません。なぜこの形になり、なぜこの色が生まれたのか。職人の息づかいや情熱を含めた「背景の物語」を丁寧に紐解き、遠く離れた地で初めて日本の手仕事に触れる人へと、その温度のまま手渡していくことです。
かつてインポートビジネスの現場で悩み、培ってきた「見せ方」や「言葉の伝え方」のすべてが今、日本の手仕事を外へと開いていくための確かな道標になっています。
そして今、その想いを次の形へと紡ぐため、私のキャリアは「日本のものづくり×EC」の世界へと舞台を移しました。これまで全国100以上の工房や工場へ自らアポイントを重ね、職人や生産者の方々と対話を続けてこられたのは、点と点が繋がるように私を導いてくれた、これまでのすべてのキャリアがあったからこそだと感謝しています。
かつて異国の美にどっぷりハマっていた私が、今は日本の手仕事を世界へ。この国が誇る物語を、私たちは国境を越えて届けていきます。
